ジャーナリストとは
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
先日、父が農業関係の新聞会社から取材を受け、畑での作業に使うキャタピラ式フォークリフト(GCF:ゴムクローラフォークリフトと言います)の特集ページに掲載されました。
今回の件でいくつか気づいたことがあります。
やはりメディアはメディア
取材をしてからしばらくすると、掲載予定の記事の確認と適宜加筆修正をお願いされます。この時文章を書くのが苦手な父に代わり私が加筆修正を行いました。
父が文章を読み、問題がある場所を指摘するのですが、20年前というところが22年前になっていたり、GCFがCGFになっていたり、いわゆる凡ミスが目立ったのが第一印象です。
「地域の中で指導者な立場の〜」を「地域の中で指導者的な立場の〜」と直した時にはため息も出ませんでした。
活字を売る新聞会社の人間の文章構成レベルがこんなものでいいのかと疑ってしまうほどでした。
一週間に1度発行する新聞なのに。
もう一つ、今回は諸岡という農機メーカーのGCFの宣伝の意味合いが強かったため、初期のGCFがてんで駄目なモノだったことを父は伝えたらしいのですが、ものの見事に省略されていました。
マイナス面をいうのは都合が悪いのはわかりますが、いいことばかり言っても信憑性に欠けるのではないかと私は思います。
それと、初代のGCFは確かに駄目でしたがその後買い足した3台は問題なく活用できていることから、そのことを改良を重ねて今の性能に至る旨書けば良いのでは、と「1号機はまだGCFの黎明期だったこともあり〜」というやんわりした加筆修正をしてみました。
父も納得したこの文章は、確認した新聞会社もそっくりそのまま記事に載せるとの連絡。
それでいいのか新聞会社。
と思いつつ自分の考えた文章がそのまま新聞に載るというのは変な気分でもありました。
まだまだ手を加えたところはたくさんあります(割愛しますが)。
要約っぽいですが、文章力の乏しい父の
「当時の1台目のGCFは全くダメダメだった」
という攻撃的な言葉を、ストレートに記事内容から削ぎ落とすのではなく、
「当時はまだGCFの黎明期で不都合も多かったが〜」
と確かに当時の駄目さを容認しつつ今では改良が進み本人も問題なく活用できていることを伝えた方がよっぽど文章に説得力を持たせることができるのではないかと思います。
私は自分の文章力に確固たる自信があるわけではありませんが、新聞記者は取材内容の事実を捻じ曲げたり削ぎ落としたりして作られた文章より、当人の意思を尊重しつつ内容全体のバランスを保てるような記事を書けるような人であって欲しいと思っています。
1週間に1度発行している新聞ですらこうなのですから、毎日発行される新聞や、他にもテレビのニュースなどはこうした推敲している余裕はありません。
ということは、それだけ事実が確実に内容として伝わらない可能性を秘めています。
故に、メディアというものは100%信用に足るものではない。いつも疑いの目を持って視聴することが重要である。
ということを皆様の心に留めて置いて頂けると幸いです。
メディアはかつて「洗脳兵器」として国民の目を政治から逸らさせる役割を持っていたとされています。
みなさま一人一人がメディア主体にならず、自分を主体として数多あるメディアの情報を吟味するような形になることを願っています。
それではこの辺りでお暇しますね。
ありがとうございました。